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紙が無くなる日
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世間での紙の使用が減りつつあるのに今更ながらに気づく。
ガス、電気などはずいぶん以前から請求書券領収書を発行しなくなった。
「自分でネットを開いて確認してください」という状態だ。
紙の請求書や領収書が欲しい場合は有料になる。
新聞も紙よりデジタル版の方が格安だ。
銀行にしてもなるべく紙は使いたくない姿勢である。
インターネットバンキングを勧めて紙の通帳を無くしたい思いが見える。
紙の使用は経費が嵩むのだろう。
本だって電子本が広まりつつある。
紙が消えて行くのを実感する。


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インターネットの世界が成立したのが大きな原因と言える。
ネットの世界に入りこめば紙などは要らない。
それぞれの会社の必要な情報が手に入る。
当然、読書は可能。
分からないことはグーグル先生が教えてくれる。
ユーチューブでも色々な情報、解説が流れている。


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便利といえば便利である。
しかしながら何故か心もとない感じが伴うのはわたしだけだろうか。
寂しいかな、電子本では寝転がって読むことはできない。
今なら紙か電子書籍かを選べるが、
死後処理の事を考えると紙の本は減らすのがよろしい。
従って、電子版の購入が増えていく。
新聞も紙なら、「しっかり読んだ」と印象を受けるが、
デジタル版は何故か言葉が流れてしまう感がある。
紙とデジタルは同じ字を読んでいても何か違う。
目も疲れる。
不思議な現象だ。


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しかもネットの世界には見張られている感がある。
こちらがある情報を引き出すと、次にはそれに類似した情報が次々に現れる。
便利だが恐い。
何か嫌な感じ。
そう言いつつ、しっかりネットを活用しているのであるが。
インターネットに牛耳られる不安を抱きつつ、紙が無くなる日を予感する。


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*写真はやはり思いつくままに選んだ。
 家の中で撮ったものも入れた。
 1枚目のタマスダレの写真はKJに借りたもの。



ETも言っているように、新聞をデジタルに変えてから、
「読んだ気」というものがしなくなりました。
新聞紙が無くなって気が付きましたが、人間が読んだ思いや行為が、
新聞紙に染み込んでいたのでしょうか。
CPUやメモリーの世界では、人間の思いや行為は
変換されて電子データになります。
それは実際、手に取ることの出来ない異世界です。
我が家では、「新聞紙 開いてこぼるる パンのくず」
という時代は終わりましたが、パソコンの前に釘付け状態に
ならないよう気をつけようと思います。

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夏はいつ終わるのか
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9月中旬に差し掛かりましたが、まだ暑いですね。
今週は、夏の盛りの昼と夜の様子を撮った写真をアップしました。
今年の夏も暑かったですが、何とか熱中症にならずに過ごせました。
9月の彼岸を過ぎれば、秋はもう目の前です。
晩夏の虫の声を聞きながら、暑さを振り返ってみます。

真夏に咲く花は多くないですけれど、
ヒマワリはその少数派の代表です。
暑さと湿気の中、すっくと立つ姿は
力強くりりしいです。
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青空をバックにすると
ヒマワリの花一つ一つが太陽のように思えてきます。
本物の太陽の姿をまねることで
感謝の気持ちを表しているのでしょうか。
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後から撮ると
ヒマワリの花は大群衆に見えますね。
ここは、座間市(神奈川県)のヒマワリ畑です。
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台風からの暑く湿った空気が
突発的な雨雲、雷雲を作り出し、
いつ雨が降り出すか分からない日の
夕方の写真です。
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風のない夏の宵は
じんわりと暑さが停滞して
昼より暑いような気がしてきます。
そんな中、さわやかな香りを放つ
仙人草の花が咲いていました。
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こちらは鉄砲百合です。
ボケが涼し気に見えますけれど
実際は蒸すような暑さでした。
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スーパームーン前日の月。
藤棚の下から撮ってみました。
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上の写真と同じ日、
相模原公園の「時のロトンダ」です。
この光景が、涼しい秋を招く「呼び水」に
なってくれれば良いのですが。
写真一枚にも「バタフライ効果」があるかもしれません!?
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・バタフライ効果:ご存じかもしれませんが、「非常に小さな出来事が、
最終的に予想もしていなかったような大きな出来事につながる」ことです。



今年の夏は過酷な夏で気温が高すぎました。
国外では場所によって、それほど気温の上がらない所もあったようですが。
温暖化の影響で年々夏の温度が上がるのはたまりません。
何とかしなければと思いつつ、
暑いとエアコンをつけるという悪循環が繰り返されています。

巷ではで扇風機で膨らんだ服を着ている人や
小さな扇風機を持って歩いている人を見かけるようになりました。
また涼を運ぶ商品も次々にでているようです。
人間は工夫する存在ですね。

温暖化の根本対策に皆で取り組めるようになると良いのですが・・・



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古道具 中野商店
474_古道具 中野商店

本を整理する際、全てを一度に処分することは出来ない。
これはまだ後で読むだろうと言う本は残しておく。
川上弘美さんの「古道具 中野商店」もその一冊である。
元気がない時に読むのがふさわしい。
数行おきに笑いがこぼれる。
「ふふふ」「ははは」とおもわず声が出て顔が緩む。


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古道具店の話である。
主な登場人物は4人。
とぼけた店主の中野さん。
いつも正ちゃん帽かニット帽をかぶっている。
アルバイトのヒトミさんとタケオ。
今風の若者たちである。
ヒトミさんは全てに率直、すべてに正直に反応する。
タケオは「~す」という話し方をする朴訥な青年。
中野さんのお姉さんのマサヨさん。
三日月形の眉が美しい。
誰とでも如才なく話す。
彼女が店に出ている時は、どういう訳かお客が多い。
古道具屋の日常を中心に、
人や物に対するそれぞれの反応と会話が面白おかしく展開される。
この辺は川上さんの力量が冴えわたる。
何気ない日常を捉えて話を作り上げる。
川上さんの実弟が古道具屋だった(今もそうかはわからない)ので、
その辺が話のネタになっているのかもしれない。


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「姉を時々揶揄するような言い方をする」とか
「端倪(たんげい)すべからざる人物である」
または「悠揚迫らざるという感じのしゃべりかたをする」など
硬い表現が所々に出てくる。
それがまた話を面白くするのに一役買っている。
面白い作品である。
川上さんの作品は、あと一冊、「センセイの鞄」を本棚に残している。
谷口ジローのコミックを読んで、原作に手が伸びた。


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好みというものがあるので、誰が読んでも面白いかどうかは分からない。
けれども誰かのお勧めの作品ということで、
心のどこかに引っ掛けて頂ければ幸いである。



* 写真は日向薬師のバス停横の古道具屋らしき店を撮影。
 その時は休みだったので、ガラス越しに撮った。



古道具店と聞くと、つい入ってみたくなります。
けれど、入っても実際に買うことは、あまりないです。
車で高速を使い2、3時間かけて、古道具店に行った事もあります。
その時も、数百円の木製コースターを2個買っただけでした
(写真を撮らせてもらったお礼の意味もありました)。
見ていて面白いですが、これでやっていけるのか、と
客の方で心配してしまう店もありますね。
この中野商店はどうなんでしょうか?
古道具店は無くならないで欲しいです。
見るだけでなく、これからは時々買いますから。

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風向きの変わる日
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今まで吹いていた風が
突然違う方向に吹き始める日というのが時々あります。

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2階のエアコンが壊れて、新しいエアコンを買いました。
その日は、その新しいエアコンを取り付ける工事日で、
朝から天気も良く、工事の方が来た時も熱中症を心配するほどの暑さでした。
ちょうど昼12時頃から工事が始まり、順調に進んでいたのですが、
午後2時ごろから雲行きが怪しくなり、雷が聞こえ始めました。
雨が降らなければいいなと思っている所へ、間もなく大粒の雨が降り始め、
すぐにバケツをひっくり返したような激しい雨に・・・

工事の方は、「最悪だ」といいながら、室内の工事を出来るだけ進めた後、
自分の車の中に入ってしまいました。
幸いにも30分程で雨は止み、工事も再開、ほっと一息、しかし
その時、小屋根部屋(屋根裏部屋)の天窓が開いたままだったのを思い出しました。

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一大事!家で一番高いところにある部屋が池になりつつある、
気分は「最悪」でした。
小屋根部屋に上って見ると、部屋の半分ほどが水浸し、
座椅子、マット、クッション、引出棚などが、びしょぬれでした。
床に水が溜まって反射光が光っています。
それから、雑巾と新聞紙とで格闘し、何度も梯子を上り下りしました。

慌ただしい夕刻が過ぎ、エアコン工事と小屋根部屋の水処理が終わりました。
結局、エアコンが壊れてから、この日までに、使えなくなって
捨てなければならなくなった物は、以下の通りです。

・壊れたエアコンと新しいエアコンのコンセント移設のあおりを受けたガスヒーター
・雨水の浸水で使えなくなった座椅子、大型クッション
・雨水浸水の引越しで居場所を失った古い引出し棚

みんな地味なものばかりですが、我が家にとっては大物が群れを成して
家を出て行く、という空虚な感覚でした。

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その日の夜も更け、慌ただしさから解放された時、
静かな暗闇から秋の虫の声が聞こえてきました。
その時の心持は自分でも意外なほど明るいものでした。

壊れていないのに、自ら断捨離を決心して処分しようとする代わりに
決心とは関係なく物を処分しなければならなくなる時、
断念する機会が半ば強制的にやって来ます。
強制的な断念でも、その事が明るい気持ちを運んできて、
風向きが少し上方向に変わったのだと思います。

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風向きは、晴天の方に変わることもあれば、嵐の方に変わることもあります。
どちらにしても、受け止めなくてはならないんですけどね。
このブログは元々写真のブログなんですが、
最近は、話を聞いてくれる人がいる、という気持ちも強くなってきました。
今回は長いひとり言でしたが、ここまで読んでくれた方々に、感謝です。




小屋根の水浸しは大騒動でした。
後始末が全くもって大変でした。
ただし、ここ相模原は粗大ごみの処理が鷹揚で助かります。
今回の騒動で捨てることにしたもろもろも20キロ380円で済みました。
10キロまでが190円で、その後は10キロごとに2倍、3倍になります。

だんだんと身の回りの物が少なくなっていくのはすっきり感もありますが、
やはり、どことなく寂しさを感じます。
変化に動じない強い心で過ごしていかねばと改めて思いました。


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金魚
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前回のKJのブログに引き続き、今回も魚の話になります。
お付き合いいただけますように。


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もう、随分前に金魚を庭で飼っていた。
木蓮の木の下に益子で買ってきた大きな鉢を置いて3匹遊ばせていた。
名前は黒べい、APPLE、苺大福。
黒でめきんに赤い琉金、頭の赤い丹頂。
仲良く、楽し気にひらひらと泳いでいた。
そのうちに、APPLEが病気になって死んだ。
そこで同じく赤い琉金を買って放した。
赤い火星にちなんでマースと名前を付けた。
またまた3匹仲良く遊んでいた。
しばらくすると、苺大福が去り、黒べいが去った。
その後マースは健気に1年近く生きたと思う。
3匹に比べると驚くほど強靭な金魚だった。
が、やはり最後は死んでしまった。
金魚の寿命はどのくらいなのか。
4匹とも、もう少し生きて欲しかった。


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金魚を外で飼うのは無理があったのかもしれない。
酸素を送る装置もつけて、水草も入れてと環境を整えたつもりだったが、
四季の変化は金魚にとってつらかったのだろう。
かわいそうなことをしてしまった。
それ以来、金魚は飼っていない。


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今回は我が家に少しの間、楽しさを運んでくれた金魚たちの思い出ブログである。
KJがその時に描いた絵を写真に撮って載せてみた。



僕KJは、昔から金魚が好きで、一時期、部屋の中で金魚を飼っていました。
水替えもして、注意をしていても、金魚は最後、寿命を全うせず死んでしまいます。
ETの記事中の4匹の金魚は、戸外の出来るだけ環境の良い所で飼っていたつもりです。
それまで死なしてしまった金魚たちの分も含めて、
長生きしてほしかったのですが、それも叶わず昇天してしまいました。
金魚は川や湖などの外の水系では生きて行けない程
弱い存在ですが、僕は彼らの愛らしい姿が今でも好きです。
もう飼うことはないですが、人間が作り出した魚である以上、
長生きできる環境を作り出せる人達の元で
ゆったりと、安心して、そして人を和ませるように生きて欲しいです。

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池の水替え
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8月も中盤に入り、そろそろ秋の虫の声も聞こえ始めました。
猛暑の夏はまだ続くかもしれませんが、
爽やかな秋の到来も遠くに見えてきています。
今週の写真は、「相模川ふれあい科学館」で撮ったものです。
ここは、相模川やその周辺に棲む生き物(淡水魚中心)を展示している
いわば水族館のような場所です。
その写真と共に、池の水替えの話題をお届けします。

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海老名にある実家には、畳一枚ほどの大きさの池がありました。
今日お話しするのは、3代目の池(直方体型のコンクリート製)で、
そこでは、鯉、鮒、鯰(なまず)、和金(尾びれがフナ尾のもの)などを
飼っていました。
鯉は30㎝位の大きさで、池の中では一番大きかったですね。

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池に泳ぐ魚を眺めるのは、とても楽しい事でした。
鱗の光沢が水の中で煌めく様や
流線形の魚体が、音もなく移動して行くのを見ていると
水の中から生き生きとした感情が流れてきました。

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しかし、池の魚を眺めていられるのは
水が澄んでいる1、2週間位の期間で、
だんだんと緑の藻(植物プランクトン)が増えて来て
中の魚はやがて見えなくなってしまいます。
そうなると、餌をまいて、水面に上がってきた時しか魚は見られません。
頻繁な水替えは魚にとって負担になると思っていましたので、
見えなくても我慢していました。

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水替えの日を決めたら、もうその日は水替え以外の事は出来ません。
先ず水を抜いて、池の魚をたらいに入れ、
予め魚の為に水を張っておいた風呂桶に運びます。
これは人間が入る「現役」の風呂桶です。
一時的とは言え、池の魚を全部入れますので、家族は前日から風呂には入れません。

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全部の魚を風呂桶に運び終えると、今度は池の壁や底の掃除です。
タワシでごしごし、ですね。その後、水を張る訳ですが、
水道水は冷たいので、出来るだけ水温を上げるため、
半日位、太陽光に当てて放置します。
本当は、一日二日そのままにして置きたいのですが、
風呂桶は速やかに、もとに戻さなければなりません。

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その日の夕方に魚たちは元通り、池に戻ります。
でも、水替え前の水温よりも低いので、何となく動きが鈍いです。
これは彼らにとってみれば、大変な環境変化ですので、
これに耐えられる丈夫な魚しか池では飼えません。

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風呂桶で泳ぐ魚たちは、かなり壮観でしたよ。
タイル張りの風呂桶の中で、所狭しと泳ぐ鯉や鮒たち、
風呂場に染み付いた石鹸やバスクリンの匂い、
それに加えて、魚たちの生臭い匂い、
あれは一種の異世界だったような気がします。
魚たちには居心地が悪かったと思いますが、
幸い風呂桶に移されて死んだ魚はいませんでした。
どんな生き物でも飼うのは大変だと思います。
あの頃は有り余るほどの情熱があったのかもしれません。




今回のブログは面白い内容の文章でした。
ただ、家の風呂桶に魚を入れるのはいただけません。
生臭くなるのではないかと思うのですが、
家の人達からはクレームがでなかったのでしょうか。
我が家でそういうことがあれば、断固拒否します。


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心の弾力性
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日本社会の御多分にもれず、近隣には高齢者が増えた。
高齢の夫婦二人で暮らしていると、お互いの属性が鼻についてくるらしい。
特に気持ちの弾力が無くなって、
お相手の属性が不満になり受け入れにくくなるようだ。
年を取るということは自分以外の人を受け入れる心の弾力が
無くなっていくことかもしれない。


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ETとKJも社会的には、いつの間にか高齢者に振り分けられる年齢になった。
ETは短気、KJは全てにおいて論理に走りすぎるというお互いの評。
それぞれの属性が高じると、二人の間に亀裂が走るかもしれない。
この辺で冷静に認識し、お互いのマイナス点を
ゼロレベルまで持ち上げる努力を始めなければならないと思うこの頃である。


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心の弾力というのはどうしたら持続できるのか。
もちろん体力的に疲弊していると、心も硬くなっていくだろう。
体力、精神力の両面から、硬化と抗わねばならない。
体力的に努力する術はすぐ思いつくにしても精神的にはどうしたらよいか。
月並みではあるが、「喜び」であろうか。
やはり喜びを感じないと、心は硬くなるのではないだろうか。
余裕を無くし見えるものも見えなくなる。
「喜び」は心に柔らかさを運んでくれるのではないだろうか。
「喜び」を見つけることは大切かもしれない。
あとは自分を客観的にみる姿勢は忘れないでおきたい。


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結局大した結論には達しなかったが、
以上の事を心に留め何とかやって行こうと思う次第である。



弾力性というのは、いつも心に余裕を持たせて
周りを柔軟に受け入れ、その上で行動するという事ですね。
言ってはみたものの、これは難しいです。
自分が自分の運転席にいつも座って、
心をコントロールする、その時、
ETの言うように、喜びがあるなら
きっと潤滑油のような役目をして
若々しく柔軟に行動できると思いますよ。

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酷暑の夏
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8月に入りました。
暑い日々が続いていますが、
皆さんは、この酷暑をどう乗り切っていますか?
今週は、暑さについて書いてみようを思います。

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(今回の写真は、題名通り、酷暑の日、町田 薬師池公園の蓮池周辺で撮ったものです。)

我が家には、特にお勧めできるような避暑方法が
ある訳ではありません。
暑い時は家に居ずに、出かけて行って
ショッピングモールや図書館で過ごしています。
同じように考えている方も多いと見えて
ショッピングモールなどで歩いていると、
同じ人達に何度も出会ったりします。

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家に居る時は、出来るだけ部屋に入って来る光を
減らすようにしながら窓を半分位開けて風を通します。
そうして扇風機や氷枕を使って涼みます。
エアコンは出来るだけ使わないようにしています。
我が家の避暑はそれだけですけれど、
電気代と電気エネルギーを減らす努力はしているつもりです。

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ぼくが子供の頃、エアコンはクーラーと言っていましたが、
クーラーは庶民の家にはまだ珍しいものでした。
当時、小学生だった僕は、夏の盛りに、
大きな会社を経営する裕福な家庭の友達の家に遊びに行った事がありました。
確か、涼しい部屋があると言って別の部屋に案内された時の事です。
その、陽の入らない薄暗い畳の部屋でクーラーが、低く唸りながら動いていました。
クーラーが効いた部屋には初めて入りました。初体験です。
その時感じた、異常な寒さと匂い、木陰の涼しさとは違うよそよそしさ、
それは今でも、かなりはっきりと覚えています。
クーラー、エアコンへの違和感は、この体験から発しているように思います。
当時(1960年代頃)の避暑法は、扇風機と団扇だけでしたが、
夏と言っても、30度になることが珍しい時代でした。

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今の暑さは、当時の気温と比べると、現実の出来事とは思えない程ですが
どこか涼しい所へ引っ越すとかは考えていません。
最近の荒ぶる気象のニュースを見ていると、
いつどこで異常気象の災害が起こっても不思議ではないと思えます。
それなら、今いるここで何とかしようと思う訳です。
それに今の酷暑はここだけでなく、全国的な現象ですよね。
他の人達と共有の悩みを抱えていると思えば、
大分元気も出てくるというものです。

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夏の夜、窓から涼しい風が入って来ると、
正に生きかえる心地がします。
もうすぐ、秋の虫も少しずつ鳴き出すでしょう。
爽やかな季節を心待ちにしながら、
この暑さを乗り切っていけたらいいですね。

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「心頭滅却すれば火もまた涼し」という言葉があります。
何かに夢中になっていると、暑さを忘れるのではと思いますが、
とりかかる気力も失せる暑さには歯が立ちません。
「何とかしてくれよ~」と天の神様にすがりたい気分です。

最近は家の中で、アイスノンのヘヤーバンドみたいなものを
頭に巻いて過ごしています。
結構、動く気力が湧いてきますよ。



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バレーダンサー
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バレーはもともとヨーロッパ文化のものだと思っていたが、
今では日本人のバレーダンサーもかなり増えているのだと気づく。
本田千晃さんが公開しているYouTube「ちあこちゃんねる」を見て実感する。
本田さんはバレリーナとして活躍して10年が過ぎた。
スロバキア国立バレー団で7年、その前にどこかのバレー団で3年の経験を積み、
今日本に戻って、スターダンサーズバレー団に所属している。


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クラシックバレーに関しては、森下洋子さん、ベジャール、
ジョルジュ・ドンなどを知っている位で、
積極的に情報を集めるわけではなかったが、
ふとのぞいた本田さんのYouTubeに惹きつけられた。


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彼女のYouTubeはバレーそのものというより、練習風景、ストレッチ、
バレーの演目の解説、バレーダンサーへのインタビュー、ダンサーの食事、
住む街の様子と多肢に渡って、情報を提供している。
関西弁でしゃべるせいか、親しみを醸し出す。
気取らずにありのままの生活風景を見せてくれるので、さらに親しみがわく。


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バレーダンサーへのインタビューではそれぞれの人生を痛感する。
だいたい日本人がバレーダンサーになるには、
14、5歳ぐらいでバレー留学をするという。
20歳ぐらいで学校を卒業し、外国のカンパニーに入る就職活動をするようだ。
それも100も200も願書を送って、わずかに返信が来るくらいで、
受験の道も険しい。
返事が来たら、飛行機を乗り継いで、オーディションに向かい、
激しい競争を勝ち抜かねばならない。
外国で働くバレーダンサーは心身ともに強くあらねばならないのだ。


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ダンサーはいつも風呂上がりのすっきり感をまとっているように見える。
日々の鍛錬と研鑽の賜物なのだろう。
きっと踊る喜びはとてつもなく大きいに違いない。



美しいファンタジー作品のように見える
バレーの世界も、練習、渡欧、
オーディション、過酷な競争と
その舞台に立つまで、
また舞台に立ち続けるために
弛まぬ努力と情熱が要るようですね。
そうすると、舞台ばかりではなく
ダンサーの生き方自体も
一つの作品のように思えてきます。

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相模川の夜釣り
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夏休みが始まりますね。
今週は、以前夏休みにした「鯉釣り」について
書いてみようと思います。

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学生の時、夏休みは海老名(えびな)の実家に戻っていました。
その時、相模川(さがみがわ)によく鯉を釣りに出かけました。
釣った魚は、家に持ち帰り池に放したり、料理して食べたりします。
魚はあまり好きではなかったのですが、釣った魚は、
自分で捌くせいか、気合が入って不思議においしく食べられました。
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大物の鯉を釣るには、練り餌や煮たさつまいもを餌に使います。
それを針に付け、リール竿で、目当ての場所に投げるわけです。
その釣り場は相模川の河口に近く、潮の干満の影響を受ける場所でした。
大きな鯉は、満潮に向かう上げ潮の時、掛かる割合が高かったので、
その時間を見計らって出かけて行きました。

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満潮の時刻は、月の満ち欠けに合わせて日々変わっていきます。
それで、釣りに行く日の満潮が深夜だったりすると、
夜の7時頃から、釣り場に入ることになります。
夏の夜の河岸は、世間の喧噪も遠く静かなのですが、
蚊がすごいんですね。暗くて蚊もよく見えません。
それで、虫よけスプレーを露出した皮膚に、
顔ももちろん食われるので、顔面にもかけて、何とかしのいでいました。

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また、昼には出会わない夜行性の動物が川面を渡ってゆくのを何回か見ました。
特に一人で夜釣りをしていると、ヌートリアや蛇が、川を音もなく泳ぐ光景が
とても生々しく心に迫ってきます。生き物と一緒にこの場、この時を
過ごしているんだな、という直接的な感覚です。

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魚が掛かった時、リール竿が大きく揺れます。
鈴は、けたたましい気がしていつも付けていませんから、
竿はほとんど無音で揺れます。
その時の、静かで大きなときめきは今でも忘れません。
後から考えれば、食べ物として身を捧げてくれる魚に対して、
楽しむなんて失礼だ、とも思えるのですが、
ときめく気持ちは自然に湧き上がって来てしまいます。

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釣れる魚は鯉ばかりではありません。
鮒やウナギも掛かってきます。
2尺になんなんとするウナギが釣れた時は
かば焼きにして食べました(この時は、亡き父が料理してくれました)。
鯉が掛かった時は、激しく抵抗しますから
釣りあげる前に大体分かります。
50㎝程の鯉を引き寄せ、たも網に入れた時は
やはり素直に嬉しかったですね。

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その鯉は、その日のうちに捌いて「鯉こく」で頂きました。
今はもう釣りはしません。
若い日々に釣りをし、その時命を捧げてくれた魚たち、
もう一度深く感謝します。




夜釣りをしているとヌートリアや蛇が音もなく川を渡ってゆくとは、
興味深い光景です。
昼と夜では世界の様子が違っているのを実感します。
おもしろい!

釣りは昔、子供と一緒に川釣りをしたぐらいです。
釣った小さな魚を川辺で焼いて食べました。
今でも子供たちの心に思い出として残っているかしら。

tag : 相模川  community : 写真 : ひとりごとのようなもの
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